脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


新型コロナウイルス感染症、発症、感染時の話

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本当はもっと早く、このことを書きたかったのだが、回復期リハビリ入院から退院して、約1週間で勤務している会社の仕事に復帰して、この頃は仕事が一番だと思っていたので、と言い訳を描きつつ、当時の時系列は、私の父親と妹が、記録して持っているとのことだが、自分の記憶を自分自身で思い出して、あの時の事を今日から徐々に書いて行こうと思う。

確か、2021年4月11日に体調の異変を感じて、当時は今のようにPCR検査が有料で、居住している枚方市にある某内科に自分で行ってPCR検査を受けて翌日4月12日に新型コロナウイルス感染症に感染が判明した。なんで感染したのか?予想できる感染経路はあるのだが、色々憶測の話なので確実な話じゃないので差し障りがあるのでここでは、書けない。

感染が判明してから、病院から、市の保健所に連絡が行くのだが、そこから一時的にいま住んでいる実家で療養しようとなったのですが、4月14日からこのアパートで、一人自宅療養に入った。ちょうど、このブログのリンクをトップに貼ってある当時から私が唯一活用しているインスタグラムで4月14日にアップしてあるのを見て、いつからここで一人療養生活を始めたのがわかった。ここで、療養することになったのは、私の両親が高齢のため両親に写してしまわないようにと考えて、たまたまこの自分の趣味の為に借りていたこの部屋があったので、良かったと思う。私は、勤務している会社の辞令が出て仙台市に転勤することが決まっていた、間際にこの感染がわかったのだが、当時はこの感染症が流行り始めたところで、中学からの親友2人と送別会をしてもらう話をしていたのに、時勢柄外食はやめておこうとなり、自宅で妹夫婦が中華のケイタリングを用意してくれて、家族で送別の食事会をしてもらった、この時にすでに新型コロナウイルスに感染していたわけだが、まだ症状は発症していなかった。その時に家族や、友人に、会社の同僚に移していなかった事を良かったと今でも思う。もし移していたら、私以上にひどいことになっていたかも知れないので。

まだ、当時は、医療従事者しかワクチン接種が行われていない時期で、一般の市民へのワクチン接種が始まっていなく、当時は、今の様にどんな病気かよくわかっていなかった新型コロナウイルス感染症だったが、当時の私は、所謂肥満でメタボリックシンドロームで、当時、体重が110Kg身長は181Cmはありますが、今は、新型コロナウイルス感染症にかかった場合は、糖尿病、高血圧は当時持病認定されているが、その2つの持病はなく、病院への入院が出来なかった。当時、睡眠時無呼吸症候群と診断を受けていて、CPAPを使った治療を当時通院していた耳鼻科の主治医に言われ、そのCPAPを使う治療を自宅でしていた。転勤することになった為通院していた耳鼻科にそのCPAPをつく治療が継続できないと言って、その機械を返却したところであった。今から考えると睡眠時無呼吸症候群を持病認定してくれていたら、こんなにひどい事にならなかったと予想はできるが、当時の自分が自己管理できていなくてそういう病気になっていたのも今の顛末なのかも知れない。

話が少し横にそれたが、当時、このアパートに自宅療養という形で、籠る事になったが、ここは、電気、水道は契約して弾いていたが、ガスの契約はしていなかった。普通に生活ができる住居では無かった。ここは、私の趣味で集めたレコードとシンセサイザーとオールドMacを置いている倉庫がわりに賃貸していたアパートであったので、生活できる環境でなかった。4月12日から14日まで2日間は実家で療養して、父親がガス会社にガスを使えるように契約をしてくれて、

4月14日からこのアパートで来て一人で療養する事になった。自宅療養になってから2日間保健所と連絡電話が全然繋がらなかった取れなくて、連絡が取れてかなかった、確か、2日間のうちに、パルスオキシメーターのレンタルが市の保健所からあって、療養を始めて毎日、体温が40度ぐらい上がって、毎日解熱剤を飲んで、全然熱が下がらなかった、毎日パルスオキシメーターで血中酸素濃度を測って、ほとんど90%の前半で推移していた、のどが痛く石がずっと出ていたのを覚えている。

今までの人生で、後悔する事の第一位は、保健所の指示に従って、ホテル療養に行った事である。ほんま後悔先に立たずである。ホテル療養に行ったのは、熱、病状が全く改善しなかったので、従って、ホテル療養に行ったのであった。

毎日、アパートへ父親が食事を届けてくれていた。本当にありがたかった。着替えなんかもゴミ袋に入れて、玄関に置いておいて、食事を届けてくれた時に持って帰ってくれたのである。着替えを洗濯してくれてありがたかった。両親がいなかったら、死んでいたかも知れない。

アパートで、どれくらい療養したのか、記録が今ないので、多分1週間程度だったと思います。

次に、問題のホテル療養編を明日、以降に書きます。


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