前回の、続きです。
私が寝ていたベッドの頭の方向からiPadが毎日置かれていた。そのiPadでナースステーションからWi-fiでモニターされているのをある日気付いた。
私は、しんどい時にそのiPadに向けて、ミトンをつけた右手で一生懸命に手をふって、合図をしようと試みた。ミトンの中で中指を立てながら手を振りつつけた。だって、ナースコールを持たせてくれないんだもの。大きな声が出せない自分が、出来ることだけがその事だった。看護師さんって呼んでも夜には誰も来てくれない。ので、ベットの柵を裏拳で殴って音を出して、暴れて知らす方法しかないんだから自分でベットから起き上がって、ある事も出来ないので、口からは、物を食べれない、オムツを履かされて、膀胱にはバルーンが刺さっている状態の瀕死状態やん。当時は。このままずっとこの状態なのかなとと絶望しかけたこともあった。昭和生まれの日本人男は強いんだぞ。と思っています。
あの時、毎日怒ってくれた看護師さんSのおかげだと思う。当然、主治医のおかげでもある。
よくこんなクソみたいなことを書くまでに回復出来たなと思う。私がいうのも説得力があると思う「人間生きてなんぼ、自分で死んだらあかん」
その当時、私の妹が家族の代表にとなってくれていて、ナースステーションからの連絡を受けてやりとりをしていたのだが、病院からは、妹に「○○さんは、毎日iPadに手を振って、愛嬌を振りまいてくてれています」と言われていたとのことを後日聞いた。違うしんどいから来てという事だったのに私のSOSがそんな風に思われていたのを後日回復期に移って知った私なのである。
自称Apple大好きおじさんである。私が、大好きなApple製品をあれだけに憎んだのは、あの時だけだ。
ミトンの中で中指を立てるなんて、野蛮な私だった。多分、日本国中探してもそんなことをした人はいないと思う。
看護師さんに来て欲しいとの意思表示を唯一できる方法だった。回復期にへ転棟した後に私の上肢のリハビリを担当してくれた作業療法士Bさんに聞くと、私の様な若い患者がミトンをつけられるのは、相当珍しいとの事で、相当暴れてたんですね?と言われた。
ミトンは拘束具であるので家族の同意がないと付けられないんですと聞いた、少しだけ妹を恨んでしまったのは内緒で、それぐらい右半身だけが元気で暴れまくっていたのは、自分てもわかっている。理解していて暴れているので病院にとってはタチが悪い患者だった。
ミトンをつけられた時期は、6月ごろで、ちょうど暑くなってくる時期だったミトンの中が暑くて群れてくるので、倒れた日以来風呂はもちろん、シャワーもして貰えずにいたので、よく憶えていないが、身体を清拭をしてもらうだけだったと思うのだが、その記憶は全くないので、コロナ陽性だったので、清拭もしてもらっていなかったのかもしれない。全然憶えていない。
右手の手のひらに垢が溜まってきて指でなぞったら、垢がボロボロ出てくる状態で、唯一使えることができる右手が使えなくて、かなりのストレスだった。あの時のことを思い出してPTSDにならなかったのは良かった。
看護士さんに毎日、毎日、暑いので蒸れて辛いのと、右手が使えないのと、鼻水をミトンで吹いたりしていたので、薄いグリーンの布製のミトンだったから汚くなって来て、ミトンを外して欲しいとお願いし続けた。毎日に毎日頼んで、看護師さんが、先生の許可が無いと外せませんと言われて、毎日
がっかりする日が続いたが、ある日、防護服を着た男性が来られて、ミトンを外してくれた事があった。顔が防護服ではっきり見えなかったので、今覚えば、あの防護服の男性は、自分の主治医だったのでは無かったのかなというぐらい記憶がはっきりしない状態であった。転院した直後コロナ陰性になるまで、今の主治医との意識がはっきりしていなかった。
看護師さんと比べると顔をあわすの回数も少なく、意識できなくていたのであったのかも。自分で、勝手に男性の看護師さんとしか意識していなかったので。今考えてみても、ミトンを外してくれたのは今の自分の主治医だったと、今度受診の時にこちらから聞いてみよう。あの時のことを、逆取材である。
当然あれが、ミトンという名前であるということも後で知ったのと鍵のようなものでしか外せないのを知ったのも後のこと回復期に移ってから知ったのであった。ミトンを毎日口を使って外そうとしていたのが無駄な努力だったのも、後で聞いて知った。
そのミトン話はもうやめとこうあれと今見たらトラウマになるものがある。良く病院のベットの横に胸とか指に付けられて、心拍数や心電図を図るスタンド型の機器だ。今行っている、デイケア/リハビリの施設にあるのだが、あれは見たく無いです。毎晩自分の動かせない左側に置かれて、赤いランプが光るんです、ポーンポーンと夜に警告音がなるのです。あの音が夜になって寝れなくて、トラウマになりました。
ある日、その機会を左側においてあるのにミトンのついている右手で寝がえりを打って反動をつけて殴って遠ざけようとした事があったんです。
その様子を看護師さんにiPadでモニターされていて、iPadから、マイクで「○◯さんそれ触ったらダメと言われて」
また、見えてるんやったら来いよと思ったこともあった。
夜中に救急搬送があるとそのiPadからナースステーションの色々やりとりが聞こえて来て気になって、
寝られなかった。毎日怒られて、寝れなかったんやぞ。って看護士Sさんに今さらながら言いたい。
私は、当時毎日、左の鼻の穴からか、口からチューブを入れられて、痰の吸引をされるのが苦しかった。コロナによる肺がやられていたのだと思うのだが、毎日毎日痰を吸引されるのは苦しかった。また、当時、どうも左半身麻痺で気道の弁の機能が上手く働いていなかったみたいで、軌道から、肺に唾液だ入って、誤嚥性肺炎の危険性があったみたいで、急性期の時と同様に毎日、夜に起こされて対位変換をされていた左側を下にされた時に左半身を触られると痛みを感じるのです。あれは辛かった。当時なんで痛みがあるのかが理解できなかったので、怖かった。
毎日暴れたおして、今があるんだと思う(笑)まだまだ続くコロナ陽性急性期編③に続きます。
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