脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


新型コロナウイルス感染症陽性中に転院、コロナ病棟でのお話③


当時、私以外にコロナで入院している人がいたみたいで、私のベッドの足元にパーテーションがあって、そのパーテーション向こうに私より年配の男性患者がいたのですが、毎日、毎日、家族に、大きな低い響く声をして、電話をしていて、「病院食が不味い不味い」と文句ばっかり行っている男性の声が聞こえていて、私は毎日悔しい思いをしていた。

私は、口から食べたいのに、食べられなくって、毎日対位変換ををされる重症なのになんで、左半身が動かないのか分からなかったのに、家族とも電話も出来ずにいるのに、贅沢言っているなとミトンを付けられながら思っていた。めちゃくちゃストレスに感じていた。だから暴れ倒していたのだと思う。

あの時は、生きよう生きようと必死になっていた時だった。あの時から比べたら今の現状は本当に良くなったと思わないといけないと思うが、人間欲があって、もっと良くなりたいと言う思いはなかなか捨てられないのである。

ある日、その男性以外に、夜にそのパーテーションの向こうに痛い痛いと言うトイレに行きたい行きたいと声をあげる女性がいた。

多分、私より年長の女性だと思うのだが、私は、自分が決して大きな声を出せない状況で、「頑張れ、頑張れ」って言ってあげた事を覚えている。次の日の朝に、看護師Sさんに昨晩、「頑張れ頑張れ」と言ってあげたと、ちゃんと見てあげてよと自分の事を差置いて言うと彼女は笑っていた。

その出来事が、せん妄かもしれないけど、今だに記憶に残っている思い出なのだ。

あの時は、医療逼迫していたので、色々対応できなかったのだろうと思うけど、本当に、トラウマになりそうな、地獄の苦しみだった。

あの時の2日連続で主治医から鼻の穴に綿棒の長いやつを入れられたのを覚えている。PCR検査陰性になったのが、本当に嬉しかった。

それから一般の急性期病棟の個室に転棟したのである。手足の本格的にまだ始まっていなかった。

回復期リハビリ病棟編は半年間入院していたので、色々思い出があるので、回復期リハビリ病棟編は、明日以降ゆっくり描いていきます。回復期リハビリ病棟編は、医療従事者に逆取材をして描いていこうかな。星ヶ丘の医療従事者に協力を仰いで。あの時、私の事をどう感じていたのかを聞いてみたいです。なかなかないんじゃないかなと思う。こう言う闘病記は。


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