脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


新型コロナウイルス感染症陽性中に転院、コロナ病棟でのお話①


私が、新型コロナウイルス感染症感染中に脳梗塞を発症し、ホテルから関西医大滝井病院へ救急搬送されたことは先日書いた。

当時、コロナ陽性から、陰性になってそのまま関西医大病院に入院という訳には、いかなかったらしい、私が家族に詳しく聞いていないので、理由は行政の指示通りに他の病院へ転院しないと行けなかったみたいだが、色々、関西医大で配慮して頂いたみたいで、なんでそんな事になったのかを聞いていないので、わからない。

私が、半年以上入院した、私が住んでいる市町村の病院である星ヶ丘医療センターにコロナ陽性のまま転院したのであった。また救急車に乗せられて、転院になった。その時の救急車の事は覚えている。透明なビニールの薄い敷居のされた救急車で、まあコロナ陽性中なんですが、どこに連れて行かされるかわからないまま、救急車に乗せられて、転院した。確か夜だったと思う。

そこから、普通は、脳卒中の急性期の病棟に入るのだが、コロナウイルス感染症発症1ヶ月弱陽性だったので、そこのコロナ感染者専用病棟に搬送された。私が運が良かったのは、私の今の主治医が副院長先生で、コロナ病棟をその時担当されていたので、今も主治医として診て下さっているのが良かったのだ。

転院時にまだ私は脳梗塞になったと知らされていなかったので、何で左腕、左足が動かないのかが理解出来なかった。

いわゆる、通常、脳卒中患者は発症すぐに、急性期から本格的なリハビリを受ける事が当然の事になっているが、私は、まだコロナ陽性で、脳梗塞の治療を受けながら、陰性にならなければ、一般急性期病棟に転棟出来なかった。

2日連続でPCR検査を受けて、陰性に連続してならなければ、一般急性期病棟に移れないので、リハビリを開始できなかったのである。

そのコロナ陽性で急性期の時期が本当に辛くて、しんどくて、何で左腕、左脚が動かないのかを教えられていなかったので、意味が分からなかったんです。

毎日、コロナ専用病棟に応援に来ていた看護師さんSさんと言う私より年下の看護師Sさんに毎日怒られていた。

ある日、私は、左半身の麻痺によって、誤嚥性肺炎の恐れがあったので、多分コロナによる肺炎にで肺が弱っていた為、肺の気道の弁が上手く動いていなかったみたいで、鼻から、胃にカテーテルを入れられていたのだが、そこから、薬、水、栄養を受けていたのであった。その鼻チューブを右手で引き抜いてしまった。みたいで、その時は何でそんな事をしたのか未だに覚えていないわからない。多分無意識にやったのだと思う。

その事で、その看護師Sさんに怒られて、お医者さんしか入れることが出来ない医療行為だったから、めちゃくちゃ怒られたのであった。その日から

ミトンと言う認知症のご年配の患者さんが色々やらないようにするボクシンググローブみたいな拘束具をつけられてしまった。唯一使える右腕にあれは辛かった。地獄というのもがあるとすればあんなような苦しみかも。コロナ隔離病棟で一人ベットに寝かされていた。ナースコールを持たせてもらえなくて、痰が詰まって、咳が出て、苦しかった。毎日9時ごろ消灯されて、病気になる前は、不摂生で、いい加減な生き方をしていたので、夜ふかしは当たり前の生活をしていたので、毎日しんどいのもあり全く早い時間に眠ることが出来なかった。毎日酸素吸入されていて、毎日、ベッドの柵をミトンを着けた手で、裏拳で叩きまくって、右足ではベッドの柵を蹴りまくっていた。毎晩、消灯した後に暴れて寝ないから、その看護師Sさん叱られていた。

「○○さん、何で入院んしてるのかわかってますか?コロナを治すためでしょ!早く寝なさい!」とほぼ毎晩言われていたと思う。

この続きは、明日に書きます。もう9時なんで風呂に入って寝ないといけないので(すっかり健康的な生活となった私であった。)


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