脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


今日は、仕事が終わった後に、週末という事もあって、両親に晩ご飯に外食にする話を昨日していた。

昨日、3人で当初行くお店の候補を話をしていたので、その時の候補の店に行くのだろうと、

外に出るなら、私が使っている銀行が、某県の地方銀行で、自宅と少し離れたところに1件支店があり、

通帳記帳をしたいので、その銀行に先に連れ行って欲しいとお願いしていた。銀行の後に本屋に行きたいとお願いしていた。

両親と夕食に行くのを楽しみにしていたので、今日は私が全て支払いをしようと思っていました。

銀行の通帳記帳が終わった後に銀行からの帰る途中に、突然、2人が違う昨日候補にも出ていない違うお店行こうと思うと言い出したので、ビックリして、何でと思いながらも、まあ両親が行きたいのであったら良いわと思って、自分もその店へ行くことを承諾して、2人に合わせてその店に行った。

何かイライラしてしまい、そのイライラは、顔に出ていたと思うが、私は人間ができていないので、いまだにイライラしている。

当然お金も出さなかった。食事を終えて車に乗ると父親が帰宅すると言い出した。私が本屋に行きたいと行っていたのを忘れていた。母親が、本屋に寄ると行っていたでしょ。と行って今から行こうかと父親が言って、私は、もう結構と断って、今に至るだ。情けなくなって来た。

昨日、3人で話をして、私が、両親に喜んでもらおうと思って、外食の提案をしたのに、

結局、私が、今日在宅勤務中に2人で勝手に行く店を決めていて、私にお金を出させるのは悪いと思ったのかも高い金額の店じゃなかったので気を遣ったのかも知れないけど。

その事で今もムカムカしている。怒っても仕方がない事だと思うのですが。

最近、両親と会話が少ないのが悪いのだと思いますが、こちらもそういうことを気にして、外食に行こうと提案してそういう話になったのに、家を出る前に事前に言って欲しかった。何も言わず、黙テンをされて、こちらも食事の予定を飛ばされて、こんな事なら、自分一人で生活したいと思う。

私が、健康で、身体が前のように動くんであるなら、こんな小さな事をなんとも思わないのかも知れないけど、

一緒に生活をしているので、当然毎月家にお金は入れているし、今は、昔みたいに自分勝手に夜にDJに出て行くという自分勝手をしていないつもりだと自分で勝手に思っていたのですが、私が、自分勝手にしている今も思っているんだと思いますが、私の存在が両親に負担になっているのではと思ってしまう。こんな私の人間の小さいの気持ちをこんなところで書いて恥ずかしいのですが、どう考えても、

一人で生きて行くのは私には、今のこの家から出るのを自分でも無責任だと思うし、自分一人で生活していける自信が無いので、私は、長男としてここにといけないと思っている。

病気になって親不孝をしているのは自分だから。存在価値の無い出来の悪い馬鹿息子なのと穀潰しなのは分かっているし、

両親に申し訳がないと毎日思って生きているのは本当なんで。うちの家の長男らしく無いのは分かっているから。

まあ、そんな両親の子供なので仕方がない。こんな自分の家の恥ずかしい事を書いて馬鹿な人間だと思うのですが、

多分、以前のように思考が正常じゃなくなって来ているんだと思う。

今日は、ど演歌ロックの気分じゃないですが、Ashの「A Life Less Ordinary」です。邦題「普通じゃない」の映画の主題歌です。

キャメロン・ディアスとユアン・マクレガーの映画です。こういうどうでも良いことは覚えているのって、人間の脳って不思議だと思う。

今日の出来事を怒ってしまうのは、左脳が発達し過ぎてしまっているからだと一番大事な言語を司っている左脳はやられなくて、こういう文が書けている、言語をまだ操れているのは幸せだと思わないといけないと思うが、現状は、なかなかきついんです。逆に脳の梗塞が左脳で、今の様に生き残ったらどんな風だったのかと考えたりしたり。今よりもっと生き難かった可能性が高いと思うので。

自分ができる範囲で生きていかないといけないと思った。なかなか怒りを抑えて、許すという事は難しいと毎日思う。

Ash / A Life Less Ordinary

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です