脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


今日は、雨上がりの曇り空で、また雨が降ってきそうな雰囲気だった。

とりあえず、昨日の自分に対するパソコンの処理を無事に終えたのを起きて確認した。また、アパートに歩いて来た。

いつもの自販機で、嫌々サントリーの自販機で天然水を買う。

私は、コロナの時を思う出してしまうから、ポカリスエットは、病気になって入院して、退院してからも多分一度も買って飲んでいない。

コロナ感染の時に、ホテル療養で、毎日、アパ社長水と、ポカリスエットを配給を受けるかのごとく、ホテルにいた看護師さんから、もらって飲んでいた。そういう思い出から、ポカリにトラウマがある。あの時のことを思い出すので、ポカリは多分今後も買わない。ブログのネタがなくなって来ているので、そろそろ、入院の話、リハビリの話を書こうかと思う。

毎日、仕事もせずにいて、スムーズに復職できるのだろうか?毎日こんな事を書いて、

人間は承認欲求がある動物で、それが満たされたら、幸せに思えるんだと思う。

今の時代、インターネット、SNSでしか、承認欲求が満たされない人が多くなって来ていて、自分も今の環境に置かれているのが、

昭和生まれ、昭和の教育を受けて来た者としては、インターネット、SNSは本当は人間に害悪なんじゃないかと思えう。広がっていくスピードは速いのが利点なのだけど、ネットリテラシーのない人間は使うべきじゃないと思う。

自分たちが小学生の時は、ネットなくても楽しく生きていたやんって。やはりネットをあまり頼るといけないと思う。アルコールやタバコと大麻、同じようなもんなんじゃないかな。と思うんです。使いようによっては人間にとって良いこともある。悪い事もある。

ほんまコロナ渦のせいで、人と人との直接的なつながりが希薄になってしまったのではないかと思う。

Twitterは、バカ発見器なんて言われるようになっていますが、私もアカウントは持っていますが、全く活用していない。Twitterに価値が見出せない人間なんで。

宮之阪の小林先生の治療院に行く前に、この日記を雑記帳に書いて、The Style CouncilのLong Hot Summer [12″ Version]を聴いて、宮之阪に歩いていく準備をする。

この動画は12インチバージョンじゃないです。今年の夏は、この曲のタイトルのように暑くて長い夏になりそうですね。

宮之阪に歩いていく途中に、2人の男性にすれ違った。1人の男性は私ぐらいの年齢層で、左片麻痺の方であった。もう一人の方は介助者だった。

道が少し狭い道だったんで、向こうに道を譲って、当然私と同じ病気の方だと分かったので、すれ違った時に「こんにちは」と挨拶をした。向こうからは返答がなかったが、私は、傘と杖を併用型の傘を突いて歩いていて、麻痺足に装具をつけていなく、左腕の痙縮もないので、向こうから私が同じ病気の後遺症があると分からなかったのかもしれない。ちょっとのあいだの時間だったので。私は、この病気になってから、色々な事を考えるようになって、視野広くなったのが良かったと思う。

半年毎日、土日も続けてリハビリで入院したのに治らないのはなんでやと思う事が時々あった。人間生きていさえすればなんとかなる。周りの人たちに助けて頂きながらも。特に右脳の損傷は、意識、記憶、言語に影響が出にくいので、右脳で良かったと思うのが良いのではないかと思う。

半年、リハビリを頑張ったのになんでやという気持ちは痛いほどわかる。これからどう生きていくか考える事が出来て良かった思わないとやってられなくなる。全ては時間が解決してくれるのである。その時まで生き続ける事が大切。

小林先生に入院中に入院していた病院の超ベテラン理学療法士の方に言われた事が、入院中に全く理解ができなかったのが、最近理解できました。という話をしました。その先生は、関西のリハビリテーション界で有名なセラピストなんですが、最初に会った時に「目つきが悪いって」ボロカスに言われて、そらコロナで脳梗塞になって、目なんかランランになる訳ないやんと思った。その方に診てもらえるのは特別な事であったみたいで、私の足を担当していた理学療法士の先生から明日は「自分は大学院に行くので休みますが、自分の師匠的な人に代行して貰いますと厳しい人なんで気をつけて下さい」と言ってだけ、日曜日に帰って行ったんですが、月曜日の朝に緊張して待っていたら、その方がやって来て、初めてあったのに、先ほどの目つきが悪いって言われて、俺患者なのになんで怒られないとあかんの?と思ったのを思い出して、おいくつぐらいかわからないが多分80歳ぐらいだと思うのですが、

厳しくて、痛くて、言われる事がきつくて、その先生に一度診てもらうと、他の日の違う患者を見ておられる時にも、リハビリ室で会うとずっと私の事をリハビリの様子を見てているのがわかるのですが、入院当時は、それが嫌だったのです。

なんで、嫌になったのかというと「その先生は自分が目が悪い障害があると言われて、君も障害者としてこれから生きていく事をよく考えなさい」と言われたのです。自分は入院で治す気満々だったので、「その言葉が当時の自分にとって厳しかったのです」その先生は、私の事を思って言ってくださったのがやっと理解出来たのです。頑固者と頑固者の対決みたいなもんで、その初回の代行から、目つきが良くなったと言われたのも覚えています。

私も頑固者なんで、ある日その先生にこんな事を言われてその時は、全く理解が出来なかったので、それを言われてから、その先生への代行を断ってしまったのですが、今思えばもっと診てもら得たら良かったのにと思います。

あの病院で入院出来て、本当にラッキーだと思います。

今日、帰りにダイソーのUSBワイヤレスマウスがこの前買って良かったので、と父親が欲しいと言ったので、買ってきました。


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