脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


6月18日日曜日

,

今日は。朝は曇り空だった。歩いて9時30分過ぎにアパートにやって来た。今日は父の日だ

BGMは、先日上げたイレジスタブル・フォースのグローバルチレッジというアルバムをたれ流している。

昨日直したMacBook Airを持ってきて、アパートでこのブログを更新している。

今、雑記帳に今日の書きたいと思った事をさっき、ざっと書いた。

先日書いた日記に、小学生の時に小学校低学年の時に、毎日授業中に立ち歩いたり、隣の女の子にちょっかいをかけて、

机を黒板の前に持って行かれて、生徒の方を向いて、授業受けていた事を思い出して、今、インターネットで調べてみたら、

今で言ったら、ADHDの発達障害傾向だなとわかった。

最近、blog、日記を書き出して、自分の事を良く考えてみると、やけに拘りが強かったり、神経質であったり騙った正確な自分には、何かあるのではないか?と考えてみた。私は、父親がサラリーマン家庭に生まれた、父親は、日本人だったら誰でも知っている大企業の技術職をやっていた。洋書の頃は、一人っ子として育った。幼少期に父親が毎日の様に、トミカを買って来てくれて、そのトミカで遊んでいて、当時住んでいた社宅の4階に住んでいたのだが、その4階の窓から、買ってもらったトミカを投げ捨てるという、今から考えたら、なんでそんな奇行毎日、毎回行い、父親が下まで取りに行ってくれる、自分で取りに行かない。要は、過保護だったのだ。この歳になってもその過保護の傾向があるのは申し訳ないですが、小学校に上がって、身体弱く、小児腎炎と診断され、小学生の時に、時々、病院に通院するために、母親が迎えに来て、森小路というところに今もある中野子供病院という病院へ、通院していた。その小児腎炎は、小学校卒業の前には治っていた。

自分の生きて来た事を振り返る様な事をしたことが無かったから、よくよく考えてみると他人が聴かない音楽に興味があったり出たのは、収集癖があったりというのは、

小学校の時に、電子オルガンを買ってもらい習っていたが、全く集中力がなく、練習もちゃん出来ずに全然せず、毎日母親に怒られていた事を思い出した。オルガンについては全く物にならなかった。私が、シンセサイザーが好きなのは、電子楽器を幼少から触れさせて貰ったからかもしれない。

そんな子供が、今の様に育ったのは、両親のおかげだと思う。今日は父の日だ。ありがとうございます。

私には、8歳歳の離れた妹がいる。私は、上記の通り、8歳になるまで過保護に一人っ子として育った。

妹が、出来ると当然妹にかかりきりになる。私の中で、いいお兄ちゃんにならないといけないという力が働いたのではないかな?

そうで無かったら、一人っ子のままで、こんな風にまで成長できなかったのかもと考える。

この日記を書いている間、親友に連絡して、昼飯を一緒に食べようと誘い、このアパートに来てもらう様にお願いした。

昼飯に行く前に、親友といつ頃出会ったのか時期がちゃんと覚えていなかったので、中学の時に友達になった。上に書いた、私の小学生の時の話をした。全然知らんかったと言われた。親友は、5年生の時に私の小学校に転校してきたので、低学年の時の事を話したことがなかった。私の人生に親友がいてくれて良かったと思う。かなりの腐れ縁だが。

親友がが来るまで、色々な人へ、LINEして待っていた。友人に恵まれている人生だと思う。明日、東京に行くことを不安に思ってきた。

頭疲れて、変にならなければ良いが。なあ、長生きしたく無いって言ってけど、老後を楽しめる様に行きていこうぜ。

夕方に、父の日なので、父親が希望した、ケンタッキーフライドチキンを家族全員分を私が買って、夕食を食べて、早々に風呂に入り、明日の準備をして。今日は、終わり。

まあ、今も変わり者であることは否定しない。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です