脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


6月19日月曜日


今日は、朝早起きして、父親に車で、JR高槻駅まで送って貰い、京都駅に行って、6時38分発ののぞみ66号に乗った。

3列シートの指定席が通路側しか空いていなく、コンセントが無い振るタイプののぞみだったので、失敗した。iPhoneの

充電ができないので、何もせずにじっと座っていた。帰りは、2列席の窓側を予約で撮りたいと思って。とりあえず目的の新幹線に乗れたのが

よかった。今日も深夜に起きてしまったので、睡眠薬を飲んでいてもなかなか効果が出ない。

今日分かったのは、3列石で通路側に座ると、左半身が麻痺しているので、通路側に、気をつけていないと、腕や、足が出てしまうという事だ。車内販売の人のワゴンに左腕を擦られた。気をつけていないと、通路側に足も出てしまう。3列シートの通路側は予約したらダメだという事が分かった。

とりあえず、EX予約で帰りの料金を見てみると、手帳を使っての割引より4000円ぐらい高いので、やめ。みどりの窓口で、並んで切符を帰り分購入しようと思いながら少しうとうとして来て、新幹線の速さに久しぶりに感心しながら、目的の東京駅から中央線に乗って、11時に受診予約していた10時前に到着してしまい、担当の戦線が早い時間に受診してくださった。とりあえず慶應大学病院でのリハビリ入院は3週間の予定で、健康保険適応との事で、自分が入っている入院保険も申請できるみたいで、コスト面の問題はなくなった。受診が終わり、入院の予約をして帰る様に看護師さんから説明を受けて、入院の受付では、勤務先の了解をまだ得ていないのでと話をすると、了解が出たら、また電話する様に言われてとりあえず、手続きをして病院を後にした。

勤務先の本社に、午後から訪問する様に連絡していたが、昼食をとる気が起きなくて、勤務先の本社に行くだけなのにやけに緊張していた。ゆっくり、信濃町駅に戻り、中央線に乗って飯田橋まで行って、飯田橋の東京メトロ東西線の駅まで、結構距離があって、本社の最寄駅の竹橋まで行って、昼休憩の時間帯だったので、丸紅の新社屋の前にあった、石で出来た椅子に座って少しだけ時間調整をし、本社に行った。

私が旧っしょ駆虫なのを知らない社員の方が多く、なんで、あいつ来たのかなと思う割れていたみたいな雰囲気だった。本社の皆さんに挨拶をし、上司と今日の受診とリハビリ入院の相談と、現在休職している復職の件を直に話が出来たので、良かった。

ずっと、胸につかえていた事もやもやしていたことが、リハビリ入院のOKが出て、復職の事や、今後の職務の希望を言えたので良かった。

まずは、とりあえず、復職だ。

今週の土曜日に、心療内科に行って、復職の診断を貰って来月から自分んは復職したいと思っている。

このblogを日記を始めてから、考え方や気分の整理ができる様になった。これを読んでくれる人にもいろんな方に応援して頂いて嬉しい。

リハビリ入院については、いつからになる、順番待ちと病室の空き待ちがあるみたいなので、申し込みの電話をして日程の連絡待ちになった。

東京からの帰りの新幹線の中から、色々な人にLINEをし報告して、応援して頂けたのが嬉しい。

とりあえず、もやもやしていたことが色々晴れて今日東京に行った事は、本当に良かったと思う。私の人生のターニングポイントとなる日になるかも知れない上京出会った。

前向きになったら、きっと良いことがあると信じながら。

今日本社に行ってスッキリした。ずっと営業に戻りたいと拘っていたのを、上司に営業だけが仕事じゃないよと言われてしまった。そう言われる前に他の部署への配置転換の希望を自分からお願いした時に言われた。この休養が良かったのかも知れないなと思っている。この休養中いろんなことがあったが、自分のこれからの行き方を考えることができた。

も少しで良いから左手で、レコードを取り出せる様になりたい。

まだまだ、人生長い、いろんなことを諦めるのが早いと思いました。

前の様に動けなくても良い。もうちょいマシな生活になればと思っている。

新幹線は、速いあっという間に名古屋に着いた。

ここから、また奇行をしてしまったので、追記しておく。京都駅から、京阪電車7条駅まで行く京阪バスに乗ってやろうと思い。地図を見ながら、歩き出したら、場所がわからずに、思いカバンを持って、40分間歩いて京都駅から7条駅まで行くというかなりアホな事をしてしまった。健常者ならまだしも、慣れない東京に行って疲れて帰ってきて、素直に近鉄に乗れば良かった。ほんま馬鹿野郎です。


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