脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


6月20日火曜日


今朝は、昨日の上京の疲れが残っていたので、朝散歩はやめ。昨日、慶應の先生が、私の主治医へ渡して欲しいと預かった手紙を持っていこうと思い、

自分も自宅で、主治医に感謝の手紙を書こうと思って、自宅にいることにした。鼻水が朝からずっと出る。鼻炎が昨日東京に行ったことからひどくなったのかも?さあ、星ヶ丘医療センターの主治医に手紙を書いた。何と言っても同センターの副医院長様で、私は良い先生に今だに主治医として担当していただいてラッキーだ。私の主治医は、なんでも入院中は、私の話を聞いてくだった。それが、医者の仕事なのかもしれないが、常に人格の素晴らしさがにじみ出ている人物だ。今、手紙を書き終えた。使えにくい左手を使って、封筒の中へ手紙を入れた。準備が出来たので、某セラピスト様にラインを送る。今日は、出勤されているとのことだったので、お会いする約束をして、いつものホールでお会いしする約束をして、昼間に星ヶ丘医療センターに行く事にした。父親に車に乗せて貰って、12時過ぎに手紙を持参した。内科の受付に預けて、一応私の名刺をクリップに止めて、私の手紙と、慶應の先生の手紙を

合わせて、クリップ留めをして、受付の方に預けて、今日の第一任務終了。

いつも、病院に入院していた時によく言っていたロビーに行って、待っているとその人はやってきてくださった。私の話を聞いてくれた。もう退院して、2年近くが経つのに今だに自分とお付き合いをしてくださる。

話が終えて、お仕事に戻られたのを見送ると、セブンイレブンで、入院中に毎日買っていた麦茶を買って、病院を後にした。ちょうど昼ご飯を食べていなかったため、入院中は近くて遠かった、病院のすぐ近くにあるラーメン屋、天下一品まで行き、「こってりMAX」という頭の悪いネーミングの新メニューを頼んだ。

私は、一人テーブル席で、座っていた。向かいに、私より年配の男性が杖を持って、入ってきて、私の向かい側に顔が見えるように座った。

多分、星ケ丘医療センターに受診に来ていた患者で、見た感じ、私と同じく、左半身麻痺のある方だった。同じ病気の人は、見ればわかるようになってきた。多分、何らかの脳卒中で、後遺症が残った方なのかなと思っていて、目の前に座ったから見ようと思っていないのに目に入るので、気にはなった、左腕は使いにくそうだったが、私より使えるようであった。ひょっとしたら、私の主治医と同じ主治医なのかもしれない。火曜日が私の主治医の外来日なので、そう思った。チラチラ見ていたが、向こうは私の事は気がついていないようだった。

食事を終えて、その方の横を通ったのだが、気が付かれずに終わり。

その天一から、歩いて、アパートに歩いて帰ってきた。天一のこってりMAXを食べてしまった、罪滅ぼしの意味合いを勝手に自分で作って、

暑い中、汗をすごく書いた。生きている証しだ。長い距離を歩けるようになったのを実感しながら、入院していた時のことを思い出しながら歩いて帰った。

私は、死に関しては、今は全く怖くない。例えば、

3億円目の前にあって、このお金を使ったら身体が元どおりに治りますよ。とそんな甘い話は無いわけで、治るから、今まで出会った人達(仕事、趣味、病院でなどで)から、あなたの記憶がなくなってしまいますけど治しますか?良いですか?と聞かれても、絶対NOだ、私にはその選択肢を使う価値観が無いのでという究極の選択があるとすれば、まあ、そんな都合の良い事は絶対ないのだけれど、良い出会いは、お金で変えるものではないと分かっているから、もし、その治す選択肢を使って、自分が使った後に幸せになれるとは思わない。

私は、毎日、今までの出会いを大切にしていきたいと思っているのです。

私は、死は怖くないが、自分が成人してから今まで関わった人に忘れられるのは怖いし、嫌だ。自分はバカなのに、すぐ人名前を忘れることがあるのに。

こんな、良い加減な事を書くなんて愚か者の極みだ。

今日、改めて星ヶ丘医療センターに入院できてよかったなと思った。素晴らしい医療者が沢山いる病院だ。もっと宣伝しておこう(笑)

星ヶ丘から宣伝料貰えないかな?まあ、金じゃないから大切な事は。

私が今通っている治療院先日の日記で書いたの星ケ丘医療センターのOBの先生が、先日施術の時に、私にこのような事を言ってくださった。

「医療者は、初めから医療者じゃないんです。患者さんに医療者として育てて貰っているんです」とおっしゃった。なるほどなと思った。

全く仕事は違うが、私が、今勤務している会社で営業をしていた事に営業の仕事に復帰したいと拘っていたのは、この小林先生のマインドと一緒だと分かった。

私の会社は、稲の肥料を作っているメーカーで、その肥料を売る営業をしていたんですが、営業の時に出会ったお客様から色々な事を教えて頂いて、仲良くなって頂き、私なんか農業を生業にしていない素人に色々聞いって頂いたり頼っていただく助言を求められるのがすごく嬉しかった。また、その仕事に復帰したいと思ったのは、その時の出会ったお客様と、分かり合えた時営業として成長できた事を実感してその喜びを知っていたからだったのである。

私が、これからも入院した時に出会ったセラピストさん達と私の回復する姿を見て頂くことが、今後彼らが受け持つ患者さんのためになると思って、これからもあってお話がしたいと思うし、まあ、私を生き返らせてくれた恩人達だから役に立ちたいと思うのは当たり前のことだと思っています。

病気で困った時には↓この病院に相談してと色々ルールがあるので、誰でも見てもらえるわけではないのでお断りしておかないとでも紹介せずにはいられないのであった。(オチなし)

https://hoshigaoka.jcho.go.jp/


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