脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


5月30日火曜日

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今日は、退院後の定期的な受診で、血液検査があったので、朝食は取らなかった。入院中の思い出深い院内のセブンイレブンで、パンを買って食べた。

通院前にWord Pressの勉強していたが、なかなか自分が思ったようにサイトが作成できない。

ホームページ作成が目的では無く、ただの私のようなおっさんのブログサイトを簡単に見やすく作りたいのだが、とりあえず、毎日更新をしている。手書きの日記も同時に書きつつ、この手書きの日記を元にして文章を打ち込んでいるわけだが、とりあえず、見て貰える人が出てくるまで、やり続けていく。若い頃より頭が硬くなってきているのか、本を読みながら、理解が進まない。

毎日コツコツ続ける事が大切だと思ってやっていく。

最近、病気になってから受け身になりつつことを実感している。自分で考えて動きたい、高齢の両親に世話をさせているので、毎日気持の上で肩身が狭い。自分は、一人の大人なんだから、たとえ、身体が不自由でも、自分で、考えて自由に動きたい。

両親は、こんな自分を心配なのか、色々言ってくる。今日は、雨上がりだったので、雨が降りそうだから、病院へ車で送っていくという。雨なんかでつれても大した事がない。別に困ることではない。結局、病院の巡回バスが自宅の近くまでくるので、それに乗って行った。

私は、47年間両親に育てて頂いて、健常者として、生きて来させてもらった。今まで社会生活を送らせて頂いたのは、家族や私に関わってくれた人たちのおかげだとわかっています。なので、身体が不自由で障害者と見られるのは本当に申し訳なく思っている。これまで、自分本位で生きてきて、この現実は仕方がないのだ。

たぶん、他の人は、頼れる時には人に頼ったら良いやんというだろうけど、自分の生き方としては、まだ自分で事をして生きて行きたいと思っている。

一応、障害者として社会から優遇をして頂いているけど(障害者手帳を頂いて、介護保険適用者として福祉サービスを)受けさせて頂いてるけど、本当はこの身体が前の様に動けて、前の様に仕事をして生活がしたい。

先日、亡くなったアントニオ猪木さんの「元気があればなんでも出来る」という言葉が、今になって、身に染みるのである。

今日の受診は、血液検査も異常は無く、主治医の髙橋先生に、色々相談最近脳の検査をしていないことを伺うと半年に一回と考えて、またMRIを撮ってくださるとの事。また、脳梗塞になったらという、怖さがあると先生に言うと、先生が「私は、コロナウイルス感染症での原因での脳梗塞、血液検査、血圧も正常なので、心配しないで良いですよと仰っていただいた。また、退院前に家族が調べてくれた慶應大学病院での上肢に対しての先進リハビリHANDS療法を受けられるかというための受診のために紹介状を書いていただく様にお願いした。

慶應大学病院に上がっている資料を持参して、自分が適応できるでしょうと言って頂き、まだ、年齢的に若いので、やって見たら良いんじゃないですか。と仰っていただいた。その受診が終わって、

入院していた病棟の前に病院のスタッフで会いたい人がいたので、うろうろしていたら、私の足のリハビリを回復期でずっと行って下さった。理学療法士の川村先生が通られて、捕まえて、久しぶりに話が出来たので良かった。お子さんが双子で産まれられて、育児休暇を取っておられて、今日ちょうど復帰したところだと言う事だった。川村先生と話をしている時に、ちょうど、私が、コロナ感染症病棟にいた時に、毎日怒られていた看護師さんがちょうど担当さてれいる部署に戻られたしまったので、その看護師さんとも話がしたかったが、仕事の邪魔をしてはいけないと思いそこの部署には寄らずに帰った。退院から2年経つが、絶対に私の事を覚えてくれていると自信があるぐらいお世話になったし、毎日怒られた。その入院時の思い出は、また別日に書きます。書く事を彼女に了解を得ないといけないかも?それぐらいヤンチャな入院生活でした。


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