脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


今日は、以前営業担当をしていた島根県のJAのお客さんで、一緒にお仕事をさせて頂いた島根県のあるJAの元課長さんから、島根のメロンを送って頂いた。お礼のお電話をしたら、久しぶりに話ができた。JAを先日退職されて、全く違う所に再度お仕事に出られていると言う事だったが、定年退職をされて、まだお仕事をされておられていることに尊敬をしている。その方とは、色々な思い出があるが、仕事でJAの事務所に行った時には、まともに仕事の話をしたとあまり仕事の話をしに行くと言うことは無かった。多分、私と言う人間を気に入って下さってお付き合いをして頂いたのだと思っている。

私は、何か、その方と波長があうと言うと感覚があって、そういう人というのは、絶対にいると思っているのでこの世界は広いので、私より年長の方だが、何か気があうという感覚である。

あの方の為になるのだったら、自分が出来ることをしたいと思う人だった。今も変わらない。

今年の4月に休職中、気分転換の意味を込めて、ちょうど私の田舎に近いところのJAなので、行くと言わずに急に内緒で、お会いしに行った。

ちょうど父親が一人で帰省していたので、新幹線で広島経由で広島から高速バスで行ったので、退院して初めての一人旅だった。広島に一泊して、レコード屋に行ったり、お好み焼き屋に行ったりした。

私の会社での師匠に当たる人が今、島根県を担当いて、その方に私が、コロナで脳梗塞になって入院している事を当時言って頂いていたので、

色々ご心配をかけたのもあって、自分の足で、挨拶に行きたかったのです。

急に私が行って驚かれたが、あの時は、帰ってきたなという感覚になって嬉しかった。

本当に私の事を担当を変わって随分経っていたのに心配して下さったので、いい出会いがあったと思っている。

私の父親が、島根県出身で、私も本籍は島根県の父の実家と同じで、当然今後変えることが無い本当に大好きな土地で、いい所で、身体が普通に動いたら、脱サラして、Iターンしたいぐらいの県である。

私の会社で営業で成功する近道は、自分が担当した県の事を好きになることだと思う。当然、自分の田舎で、父の故郷だから、私は、入社して、師匠について島根県を担当できたのは本当にラッキーだったと思う。

島根県を担当していた年数は、異業種から35歳で転職して、仕事を覚える為に必死で、濃密な時間であった。島根県で同業界で他社メーカーの、私と同い年の友人が出来たのも自分にとって大きかった。その友人は、私が、そのJAに内緒で行くと言う事を知っていて、仕事の途中にわざわざ、そのJAに来てくれた。その方に挨拶を終えて、昼ごはんんを食べていなかったので、父親にJAの前にある道の駅まで迎えに来てもらって、その友人といつも行っていたそのJAの近くの喫茶店の唐揚げ定食が美味しくて、父親にそこに行こうと連れて行ってもらったら、その友人が先にその店に行っていたのを笑って、一緒に昼食をとって関係ない父親の分まで奢っていただくと言うことがあった。本当にいい絆だと思う。いつも彼と一緒に仕事をしていた。毎日のように電話をして。電話しながら、国道9号線ですれ違う事もよくあった。本当にいい思い出だ。あの時は必死で仕事をしていた。失敗ミスは良くしたが。

自分が担当していた事は、今の会社にとっていい仕事が出来ていたと言える勝手に思っている。色々失敗をした。出雲市でこけて手をついて、両肘を同時に骨折して、会社に迷惑をかけたりしたけど、中国道で、オービスをペカらせて、スピード違反で赤切符一発長期免停になって、車が必須の土地で、車が運転出来ずに仕事に支障をきたしたり、ほんまバカな男だと色々思い出す。その時、師匠に迷惑をかけた。山口県から車に乗せて頂いて、また一緒に島根県に営業に入って頂いたりと。

その師匠は、今の私がいる会社の業界の営業のイロハを教えてくださった師匠だが、今年の10月末で定年退職で辞められる事に決まっているので、今から寂しい思いをしている。

こんな昔の事をよく覚えている私だが、最近、物忘れが多い。今日は、宮之阪の治療院に来たのだが、車で送って貰い帰りにアパートに寄って帰ろうと思っていて、アパートの鍵を持って出る事を忘れてしまい、ただのうっかりミスでは無い。先日買ったレコードを用意して出ているのに肝心の鍵を忘れると言うのは痛恨である。帰りの予定が狂ってしまいそうだったが、両親が、鍵を見つけて、治療院までまた迎えに来てくれたので、帰りにアパートに寄って帰れた。アパートに夕方まで、いて、今晩は両親と外食に行こうと言っていたので、またアパートまで迎えに来てもらって、買い物をついでに晩飯を食べて帰ったのだが、

土曜日の夕方なのに客は私達だけだった。だいぶん前からそこで営業されているお店だが、あの調子だとそのうち潰れるんじゃ無いかなと思う。全くバリアフリーになっていない店で、私が障害者になってわかる事なのかもしれないが、全ての客に平等で無い店はきっと淘汰されるんじゃ無いかなと思う。会計を済ませてトイレに行った時に思った。料理は美味しいかったので全く問題ないが、そう言う気遣いができない店は、多分淘汰されていくと思う。味は良いのにもったいない事だ。

最近、物忘れが多いのが気になる。私は、基本的には神経質な人間だと思うが、でも、部屋の片付けは出来ないと言う、どうしょうもない人間だ。

今日、治療院の小林先生に物忘れが多くて、困っていると相談したら、そんなに重要じゃない事だったら良いのではないですか?そう言う自覚があるのはいい事ですよって言うニュアンスの事を言ってもらったのだが、やっぱり物忘れは困る事なんです。地頭が良い人間ではないことを自覚して、毎日、色んな事を考える様にしているので、考えすぎかな?

明日は、大切な友人夫婦と京都で会い行くので今日は早く寝て準備しよう。


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