脳梗塞発症後、左半身片麻痺後遺症者の日常

新型コロナウイルス感染症、脳卒中、脳梗塞 左片麻痺、リハビリ、おっさんのぼやき多め。


新型コロナウイルス感染症、ホテル療養の真実①

, ,

当時のInstagramの投稿をみたら、2021年4月19日の投稿に4月18日の午後に「昨日の午後からやっとホテル療養になりました。」との投稿が残っているので、その日から5月8日まで、Instagramの更新が止まっているので、iPhoneを返しって貰ったのは、最初に救急搬送された関西医大の滝井病院では無いので、

そこから転院した星ヶ丘医療センターだったので、4月18日にの午後から、ホテル療養を開始したのは確かで、

ホテルで脳梗塞で倒れて4月24日に救急搬送されたとのだと思う。

当時、俗に言う肺炎で重症患者で、かつ、脳梗塞併発している状態で、私が脳梗塞になったと教えてもらったのは、関西医大から星ヶ丘医療センターに転院してからである。まだ新型コロナ感染症の陽性中に星ヶ丘医療センターに、点させてもたったとのこと、同医療センターはジェイコウグループの病院で、あの尾身茂さんが理事長をしている病院グループで、私がこの一件で、唯一ラッキーだったのが、ここに転院できたことである。

ここでの入院闘病生活の記録は明日以降に更新していきます。まず、ホテル療養だ。

2021年4月と言ったらホテル療養が始まって間もない時で、何も情報も無く、保健所に言われるままに、ホテル療養と言われるとちゃんとした医療体制が整っている、医療対応を受けれるのかと、普通思うじゃないですか?

あの時は、ホテル療養についての情報も今の様に無くなかったので、結局、病気に感染した人間を閉じ込める様な扱い、罪を犯した人間の様な扱いを受けた。ホテル療養中にテレビのニュースを観ても「医療崩壊との報道ばかりで、救急車で、収容先受け入れ先が無く、たらい回しにされているニュースを観ていて、日本終わってるなと思って観ていました。まさか、その後、自分が脳梗塞で倒れて、救急車で救急搬送をされると思っていませんでした。

あのホテル療養での新型コロナウイルス感染症に感染した人たちの扱いを一生忘れないと思います。あの時の自分の絶望感、無力さを感じた。毎日感じていた。何時になったらホテルから自宅へ帰れるのかと毎日思っていました。結局、ホテルから自分の足で歩いて帰ることが出来なかったのである。

去年退院後復職した後、そのホテルまで自分で歩いて見に行きました。大阪、日本橋恵美須町の駅近くのアパホテルです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です